カテゴリ: 歳時の記
春の朝 (歳時の記 弥生四)
早春の花 雪割草 (歳時の記 弥生二)
春まだ浅し (歳時の記 弥生一)
秋は「深まってきた」、春は「まだ浅い」という言い方が、季節の進み具合を表す言葉と
してよく使われる。
夏や冬には使うことのない春秋に限られたこの「深い」「浅い」の使い方は、季節の変化
というものが、たくさんの事象・要素の積み重ねで実感できるようになる、ということを示
しているようで面白い。
その事象・要素とは、例えば日脚の長さであり、日々の寒暖・降水の変化であり、身の周
りの動植物の動向である。
日本海側の海岸平野部に住む人間にとって、冬という季節が一年の季節の中で最も特徴的
と感じられるのは、雪が降り積もる寒い時期ということよりも、曇天が続き日照時間が極端
に少ないという点である。
明るさの乏しい日本海側の冬は、緯度の高いヨーロッパの冬と同じような、暗く陰鬱なシ
ーズンだ。
3月に入り、光の量は日に日に増してきて、視覚的にはかなり明るくなってきた。
しかし、天候次第でその印象はかなり違ってくる。
今日のように一日中曇天となり気温が上がらなければ、春は遠退いたように感じられる。
季節の進みは一進一退、春はまだ浅い。
(雲に覆われ陽射しの無い空)
春への至り方 (歳時の記 如月一)
二月は、いつもの月より少ない日にちの中に、ふたつの季節を包含している。
月初めは未だ極寒で、周囲の景色全てが雪氷に覆われ、たまに庭木に訪れる
シジュウカラやヒヨドリなどの囀りが、かろうじて無機の世界ではないことを
教えてくれた。
冬至を過ぎると、日脚は日ごと確実に延びているはずだが、曇天が続くここ
日本海側ではそれを実感することは難しい。明瞭に陽光が増してきたと感じら
れるようになるのは、半ばを過ぎた頃からか。
二月も終わりに近づいたある日、冬の間はなかなか近づけなかった海岸へ行
ってみた。
我が家からゆっくりと歩いて10分ちょっと、住宅街を抜け、数百メートルの
幅のクロマツの防風林を横切り、海岸線に平行に走っている国道を越えると、
もう海を見下ろす砂山の端に着く。
砂山は季節風の影響で、冬の間にひと際高く成長していた。
前に来たときは、大雪の後で一面スキー場のような雪の原だったが、今はすっ
かり雪が無くなり、砂ぼこりが舞う春の海岸の姿に変わっている。
波打ち際からかなり入り込んだところまで流木や漂着ごみが堆積しており、
冬季の日本海の波の大きさを見ることができる。
砂の表面には、尖った小さな盛り上がりがたくさんできていた。
これは、鳥取砂丘では「砂柱」と呼ばれている微地形で、降雨の後に風速
12m/s以上の強い風が吹くと形成されると言われている。当地では通常、
夏~秋の台風通過後で見られるが、積雪が無くなり強風の吹き荒れる早春
にも現れ易い。海浜の景観からも、春が来たことが感じられた日となった。
(高くなった砂山)
(流木や漂着ごみ)
(砂柱)